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公害企業と大学教育 [教育]

今、私が担当する授業で出したレポートの採点をしているが、毎回、非常にガッカリさせられる。友人と相談して教え合いながらレポートを書くことは認めているのだが、自分では全く考えずに丸写しで出してくる学生が多数を占めている。同じ計算間違いや写し間違いがあっても平気で出してくる学生が多い。大学で勉強する気が全く感じられない、学ぼうとしない「学生」は一体大学で何をしようとしているのであろうか。
私も企業にいた時、年々入社する大卒新入社員のレベルの低下に悩ましい思いをしたのであるが、大学に移ってきて徐々に実態がわかってきたような気がする。まず、大学全入時代になって、新入生のレベルがだんだんと下がってきていることが主要因ではあるが、それをそのまま社会に出し続けている大学の社会的責任は免れないであろう。
もちろん大学にとって学生数を確保することは経営上の重大事であり、入学生の確保と彼らを卒業させて社会に出すことは重要な責務である。しかし、だからと言って、大学生としてのレベルに達していない学生を社会に垂れ流すことは、かつての公害企業が汚染物を垂れ流しながら生産活動を続けた1970年前後の状況と全く同じである。公害企業にも、雇用を維持し社会へ生産物を供給し続けるという正当な大義名分はあったはずである。しかし、それでは公害病の発生などの社会的問題があり、その後の幾多の努力により、公害対策のためにコストを掛けながらも持続的な生産活動が出来るようになった。今では、それが社会にとっては結果的によかったと言える状況にあると思う。
大学にとっても、卒業生の質を維持するためにさまざまな改革を行うことには大きな痛みを伴うことが十分に予想される。しかし、これは何としてもやりきらなければ高等教育の継続的な維持発展はあり得ないと思う。
幸か不幸か、現代の日本社会はそれほど多くの「真の大卒労働者」を必要としていないように見受けられる。なぜなら、逆説的に言えば、多くの大学がレベルの低い卒業生を社会に送り出しても、企業はそれを受け入れて大きな問題なく企業活動を続けているからである。日本の多くの企業は、学生にあまり専門性を要求していないという残念な実態がこの「異論」の証拠である。
ちょっと話が脇道に逸れたが、言いたかったことは、大学の改革は一義的には大学自体が率先して努力しなければならないことはもちろんであるが、それを受け入れる企業を始めとする社会、そして学生の保護者の協力なしには不可能であるということである。前述の公害企業も、消費者が公害対策のコストを商品価格の中で負担してもらえることで初めてクリーンな企業に変身できたことは歴史が示すところである。大学、企業、家庭が一体となって本当に何が必要なのかを考える時期に来ているように思える。

相次ぐ学生の受賞に大きな喜び [研究]

ここのところ、私の研究室の学生が相次いで学会で表彰されました。

1件目は、大学院2年生のYA君がアジア太平洋マイクロ波会議で、STUDENT PRIZEを受賞したというものです。マイクロ波学会では、毎年、アメリカ、ヨーロッパ、アジア太平洋で3つの大きな学術会議が開催されていますが、今回はそのうちのひとつの学会でした。総投稿件数が世界中から800件弱、採録数が500件弱あるなかから、一般の部で5件、学生の部で5件ほど優秀賞が選ばれました。
国際学会での表彰ですから、うちの大学としては画期的なことだと思います。実際、私自身もこのような賞をこれまで取ったことはありません。
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2件目は、学部3年生のYO君がIEEE MTT-S KC主催の若手技術交流会のポスター発表でベストポスター賞を受賞したというものです。こちらのほうはIEEEという国際学会とは言えローカルな行事ではありますが、それでも参加者のうち3分の2が大学院生という状況で、学部生、しかも3年生が受賞したというのは称賛に値することだと思います。
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この2件の受賞を通じて強く感じたことは、頑張ってやっていれば誰にでもチャンスはやってくるものだということです。学生の能力は、磨かなければただの石ころですが、磨けば綺麗な宝石になるということを改めて気付かされた気がします。
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