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ほうれんそう [教育]

皆さんは「ほうれんそう」という言葉をご存じだろうか?漢字では「報連相」と書いて、「報告」、「連絡」、「相談」のことを言う。私も会社にいた時には、いろいろな事業部のいたる所でこのスローガンを書いたポスターを見かけたが、こんな小学生に言い聞かせるような幼稚な教育を大の大人にする必要があるのかと正直思ったものである。ところが、恥を忍んで申し上げると、私の研究室にもこれが出来ていない学生が多数いることがわかってきた。
このブログは企業の方にもたくさん読んで頂いていると思うので、こんなところで知られたくない内輪話をするのもどうかと思うのであるが、表面だけ取り繕っても仕方がないので正直に申し上げるとともに、改善に努めるための戒めとして敢えて書かせて頂く。
何が問題かというと、私の研究室では毎週土曜日にゼミを行っているが、これを連絡無しに無断欠席する学生が今年は多数発生しているのである。これは会社で言えば無断欠勤であり、社員就業規則違反なので一方的に解雇されても仕方のない行為である。私は研究の推進は学生の自主性に任せているが、ゼミを欠席する場合は事前に連絡するように学生と約束をしているので、明らかな約束違反だ。
また、研究を進めるにあたって、自分のわからないことを周りの先輩や同輩・後輩に質問したり相談せずにそのまま放置し、私が状況を尋ねると初めて「やり方がわかりません」と平然と答える学生が多くいる。
これらの行為に対して、本人は全く罪悪感はなく、何が悪いのか理解もできていないようだ。どうやら、社会で生きていく上での基本ルールをこれまで誰からも教えてもらっていなかったというのが真相のようである。すなわち、「報連相」の習慣は自然と身に付くものではなく、誰かが親身になって教えてあげないといけないと思われる。これが、最近、私が痛切に感じ、最も頭を抱えている教育上の大きな課題である。大学は社会に出る前の教育の最後の砦であるので、ここで何とか頑張って学生を教育していきたいと願う次第である。
私が会社にいた時の新入社員にもこういう基本ルールが身に付いていない人が何人かいた。そして、結局彼らがどうなったかというと、まわりの人との信頼関係をうまく構築することができずに次第に孤立し、最後はメンタル的な変調をきたして長期間療養のために休職するという残念な結果になった例がほとんどである。社会のルールが身に付いていないと対人関係がうまくいかず、精神的に大きなダメージを受けるのは避けられない。たかが「報連相」ということでなく、実は深刻な問題なのである。
こういうことは本当に本人にとっても不幸なことであり、彼らが卒業するまでには「報連相」の習慣をしっかりと身に着けさせ、社会で活躍できる人材を送り出していきたいと思う。是非、企業の方には、私の研究室を卒業した学生間は社会の基本的なルールがきちんと身に付いていると評価して頂けるようにしたいと考えている。
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定期試験を終わって [教育]

前期の定期試験が終わって、今、答案の採点中である。試験は、学生にとって自分の学習したことが身に付いているかどうかをチェックする機会であるとともに、教員にとって自分の行った授業が教育的に効果があったかどうかをチェックする貴重な機会でもある。
正直言って、採点中に余りにも出来の悪い答案に出くわして、ガッカリするとともに腹が立ちそうになることもあるが、ここで腹を立ててはいけない。なぜなら、それが自分の行った教育の結果だからである。一方、素晴らしい答案に出会うと、非常に嬉しく感じるものである。
わずか15回程度の授業であるが、これほどまでに学生間に格差がついてもいいのかという気がしないでもない。同じように入学試験の関門をクリアしてきた学生達が、ひとつの授業で、片や専門家としての実力を身に付け、片や全く使い物にならない人間になってしまっている。これが、いくつもの授業で繰り返されたならば、人間の価値としては天と地ほどの差がついてしまう怖さがある。
出来の悪い答案を出した学生に共通して言えることは、まず授業をほとんど欠席しており、真剣に授業に臨んでいないという学習態度に問題がある。答案の中身を分析してわかることであるが、学生個人の能力が低くて悪い点を取っているという例は極めて少ない。そのような学生に対しては、適切な指導を行うことで大抵の場合は問題を解決することができる。
学習態度の悪い学生にとって、大学とはいったい何なのであろうか。高い授業料を払って、人生の中の貴重な4年間を費やして、そして何も得るものがない。そういう学生は、おそらく自分の意志で大学に来たのではなく、親や高校の先生の言うことに従って不本意ながら大学に籍を置いているのではないかと思うが、考えてみると不幸なことである。
そのような事態が発生する原因のひとつとして、日本の社会が学歴社会で、大学卒は厚遇するけれども、高校卒は冷遇するというような風潮があるからかもしれない。世の中の仕事には、大学卒でないと出来ないような専門的な仕事もあるが、そうでなくても何の支障もない仕事はたくさんある。実際、多くの人の尊敬を集めているプロスポーツ選手や人気芸能人は大学卒でないことが多い。もう少し、日本の社会自体がそのような多様性を受け入れられる構造になって欲しいものである。
そうすれば、履修登録だけして授業に出ない学生も減るであろうし、採点をする必要のない答案に採点時間を割くような無駄も無くなると思う。そして、何より、本当に勉強したい学生のために、もっと教育の時間を充てられるのではないかと考える。
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