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夏季実習の講師をやって [教育]

現在、夏休み後半の学外実習が行われており、その一環として外部から講師をお招きし、「電気回路の製作体験」というテーマの学内での夏季実習を実施している。私も企業出身の講師として外部講師の方と一緒に2名体制で、その実習を担当させて頂いている。実習には約20名の学生が参加し、2週間にわたってオームの法則やフレミングの法則を実験により体感するものである。
電気に関わる基礎的な法則を頭で理解するだけでなく実験で体験することで、それを実際に利用できる技術力として身に付けるという非常に優れた実習カリキュラムである。測定器には自作のテスターやオシロスコープを用い、実験結果をアナログ量として評価するというのも、最近の学生にとっては貴重な体験である。学生には、毎日、実験結果のレポートの提出を求め、結果をしっかり考察するように指導している。
しかし、その実習の指導していく中で、日本の学校教育の問題点を痛切に感じた。というのは、学生たちはまじめに実験に取り組みレポートを書いているものの、自分の実験で得られた結果が妥当かどうか、また、その結果がどのような物理的意味をもつのかをほとんど気にかけていないように思えるからである。物理的に有り得ないような数値を平気で書いて出してくる。と言っても、学生たちにさぼろうなどという悪意があるようには見受けられず、ともかく、まず結果を書いてレポートを出すことが優先されている。それは、まるでテレビのクイズ番組で、わからなくても一か八か回答をしてみて、当たっていればチャイムが鳴り、外れていればブザーが鳴るという感覚なのである。
どうしてこういうことになっているかというと、彼らがこれまで受けてきた学校教育では試験で成績が評価され、生徒が書いた答案を先生がその場で○×で採点するというのが普通だからである。彼らは生まれてこの方、ずっとこういう環境で育っているのだ。
会社に就職して技術者として研究開発をする際に、彼らが実験をして得たデータを上司に持っていき、果たして上司はこのように○×で即座に採点するだろうか。上司も正解を持ち合わせていないのでそれは不可能である。このように、社会では、予め正答が用意されていて誰かが採点してくれるということはまず有り得ない、例外的なことである。
それにも拘わらず、学校教育では誰かが正解を用意していて採点してくれることが当たり前と考える学生をせっせと量産している。学校教育が現在そのような形を採っているのは、社会の中の疑似体験を効率良く行うという考えからであったと思う。ところが、最近は、社会自体が「疑似体験」と「本当の体験」の区別がつかなくなっているように思える。
誰かが正解に基づき採点してくれるという考えにみんなが浸っていれば、社会の進歩はなく、衰退をもたらすだけであろう。早急に学校教育の在り方を再考していかなければ、日本の将来は非常に危ういと思えてならない。
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